沖縄県那覇市にある首里城は、琉球王国時代に建てられた城跡です。2019年10月31日に発生した火災で、多くの建物が焼失してしまいました。その後、復旧のための調査が進められ、一部の建物が復元されています。
そんな首里城ですが、最近「首里城は元々は黒かった」という記事が話題になりました。真相はどうなのでしょうか。
黒い首里城の説は本当?
「首里城は元々は黒かった」という説は、沖縄県立博物館・美術館が公開した写真から浮上しました。写真には、明治時代に撮影された首里城の姿が写っています。
この写真を見ると、現在の首里城とは全く違う姿が見えます。屋根は赤ではなく黒く、壁も黒っぽい色に見えます。
一方で、首里城の正式名称は「首里殿内」であり、琉球王国時代には白く塗られていたとされています。そもそも、黒い首里城の説は本当なのでしょうか。
発掘調査で明らかになったこと
黒い首里城の説が浮上したのは、写真が公開されたことがきっかけです。しかし、写真だけでは真偽が確かめられません。
そこで、発掘調査が行われました。その結果、首里城の壁には黒い色素が使われていたことがわかりました。
しかし、全てが黒く塗られていたわけではありません。黒い色素は、玄関や柱など一部の箇所にしか使われていませんでした。
黒い色素が使われた理由は?
黒い色素が使われた理由は、まだはっきりとはわかっていません。しかし、黒は強い印象を与える色であり、防火や虫除け効果があるとされています。
また、琉球王国時代には中国との交流が盛んであり、中国文化が影響を与えていたことも考えられます。中国では、黒は死や悲しみを表す色とされていますが、一方で高貴さや権威を表す色ともされています。
まとめ
首里城は元々は黒かったのか、という問いに対しては、発掘調査によって一部の箇所に黒い色素が使われていたことがわかりました。
しかし、全てが黒く塗られていたわけではありません。また、黒い色素が使われた理由については、まだはっきりとはわかっていません。
首里城は、沖縄県の重要な文化財であり、多くの人々に愛されています。今後も、復旧が進み、一日も早く元の姿を取り戻すことを願っています。